2003年1月前半

 

01/01 「あけましておめでとうございます」
01/07 「昨日はゆかやんが来てたで」
01/08 「映画館に雨が降ってきた」
01/09 「命を削って生活をしている」
01/13 「閉館がきまった、なんてオチはいやですからね」
01/14 「映画館を作りたいと思った。街にちいさな映画館」
01/15 「ひとつ言えるのは『1月に何かがある』ということ」
01/16 「それでは明日、頑張りましょう」
01/17 「今日は、旗揚げです」
01/18 「インドで最下位の映画とか、ええやん」
01/19 「生きてる人間が何をするかや」

 

 2003/01/01


「あけましておめでとうございます!

いよいよ新年のスタートです。
西宮映画館建設プロジェクト
「ニュー・西宮・パラダイス」は、
今年2003年を「飛躍の年」とします。

助走は終わり。
歩いていた映画館建設への道のりを、
今度は走り始めます。

「読むのが追いつかない」とまで言われた
怒涛の毎日更新は、
さらなる内容の充実を約束し、
加速度的に突き進みます。

毎日読めない方は、休日まとめてどうぞ。
3日おきの方は、そのまま3日おきでどうぞ。
みなさんなりのペースで
じっくりご賞味くださいませ。

それでは新年1発目、行ってみよー!

 

つづく。

                                  

 2003/01/07


「昨日はゆかやんが来てたで」

中華街で有名な神戸の南京町にある
ギャラリー「蝶屋」にて、
看板画家・山中一夫さんの作品展が開かれた。
2002年11月25日の日記参照)

定期的に開催される同展は、今回、今日が最終日。
昨日はさくらFMのパーソナリティー・ゆかやん
(山中さんを僕に紹介してくださったお方)
も駆けつけ、盛り上げ役に。

今回の作品展は山中さんのほか、
「阪急会館」最後の画家・日高惇之さん、
「神戸東映」最後の画家・星山芳道さん、
さらには元芝居背景画家や大学生など、計8名が参加。
この傾向に山中さんは
「だんだん人が増えてうれしい」とのこと。

そして、新たなる出会いも。

山中さんのご紹介で、
神戸市消防局広報誌「雪」編集部の
大垣さん、入江さん。



左が編集長の大垣さん、
右がアシスタントの入江さん。
後ろは山中さんの作品。



「雪」とは、昭和24年に創刊された
消防局の職員向け機関誌が改名された雑誌で、
神戸の文化・情報誌の走り。
消防局のニュース記事ほか、
神戸の動き、映画・スポーツの話などを交え、
現在までに600号以上も発行された。
今年から、表紙の絵を担当するのは
西宮出身のイラストレーター・太田朋さんだ。

消防局の広報誌だけに、
例えば屋上映画館を作るとしたら、と質問。
消防法にまつわるよもやまをお話いただいた。
法的に、なかなか現実は厳しそうだが、
とはいえケースバイケース。
良い意味で法の網をかいくぐり、
素敵な娯楽の発信の場を作れたら、
これほど楽しいことはない。

そして最後に「蝶屋」のオーナー、桧垣さん。
さっそく西宮映画館プロジェクトのチラシを手渡し。
なんと関学文学部のご出身だとか。
「もう40年も前の話」とのことで、
大大OBさんの発見である。

新年早々、出会い続々。
今年はいいことありそうだ。

 

つづく。

 

参考:http://kobe.cool.ne.jp/kazuo1/
   (山中一夫さん油絵展 映画名場面)

   http://www005.upp.so-net.ne.jp/chouya/
   (南京町ギャラリー「蝶屋」)

   http://www.exd.city.kobe.jp/kcdpc/yuki/yuki.html
   (神戸市消防局広報誌「雪」購読案内はこちら)

   http://www.shiawasenotane.com/
   (シアワセの種:太田朋ホームページ)

                                  

 2003/01/08


「映画館に雨が降ってきた」

京都駅ビル東ゾーンで展開している
「KYOTO手塚治虫ワールド」に行ってきた。

手塚治虫のマンガが読めるミニ・ライブラリー、
キャラクターグッズのショップ、
2003年4月7日の鉄腕アトムの誕生日を祝う
カウントダウン・モニュメント、
などが設置され、手塚ワールドに浸れる。
そして、メインはアニメシアターである。

まず、6面マルチシアターといって、
左右、前方、合計6つのモニターが連動し、
手塚治虫本人のプロフィールに迫る映像を。
8畳間くらいのスペースを、立ち見で鑑賞する。

次に、係員に案内され、隣りの300インチシアターへ。
席は長椅子2列。同時に20名ほど座れる。
目の前には大きなスクリーンがあり、
およそ20分、アトムの映画が上映される。

仕掛け(ギミック)はここから。
客席とスクリーンの間には
当然、スペースがあるが、ここが肝。
なんと映画のシーンに連動するのだ。

例えば雨のシーンで、雨を降らせる。
館内の降雨装置によって目の前が雨になり、
スクリーンを雨越しに観ることになる。
客席の真上には降らないが、
映画との一体感を感じさせる。
他にも雷のシーンで館内が明滅したり、
鳥が空を飛ぶシーンでは、
雲が床からモクモクと湧き上がってくる。

映画館の仕掛けといえば、
ギミック王ウィリアム・キャッスル
(1914〜1977 アメリカ)がいる。
数々のホラー映画を監督した鬼才は、
とにかく観客を恐がらせた。

例えば『マカブル』では、観客全員に死亡保険をかけた。
映画を観ている最中に死人が出たら1000ドル払う、
とすることで、恐怖感を煽り、大ヒット。

『ティングラー』では寄生虫が劇場に逃げ込むシーンで
なんと客席に微弱電流を流した。
館内はパニック状態に陥ったという。

『第三の犯罪』では、種明かしの直前に上映を中断。
「今、後ろに聞こえるのは心臓の鼓動の音だ。
 諸君の心臓はこれより早く打っているかね?
 もし、早ければ今のうちに劇場を出た方がいい。
 入場料はそっくりお返ししよう」
と、自らのメッセージを劇場で流した。

『ミスター・サルドニカス』では、
オチを2通り用意し、
ラストの寸前で観客に投票を促した。
劇中の主人公の命運を観客に委ねる、
という仕掛けである。

これらのギミックを、
「子供だまし」ととらえるか、
「より作品を楽しませる妙案」ととらえるか、
人によって意見が異なるところだろう。
映画館というよりは、遊園地、
つまりはアトラクション的であり、
映画鑑賞の主流とは言えないかもしれない。

けれど、こうした試み自体は、僕は好きだ。
「客を楽しませる」ことに主眼を置くならば、
ただ客席とスクリーンを用意して、
おざなりに「はいどうぞ」と上映するだけじゃなく、
もう一工夫あってもいいかもしれない。

映画は娯楽、そう言い切れるなら。

 

つづく。

 

参考:http://www.kyoto-station-building.co.jp/kyototezuka/index.html
   (KYOTO手塚治虫ワールド)

   http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/worst/pro/castle.html
   (ウィリアム・キャッスルについて)

                                  

 2003/01/09


「命を削って生活をしている」

知り合って5年になる親友K太の日記
「しゃけ日記」には、そう書かれている。

彼は先日まで、とある劇団に所属する舞台俳優だった。
某女優の息子が覚せい剤取締法違反で捕まり、
その後の進路として話題になった、あの劇団K組だ。



在りし日のK太(死んでないけど)


K太の苦労の日々は、聞くだけで、
身につまされる思いだった。
ギャラもたいして出ないのに、バイトは厳禁。
借家はトイレに鍵がついていないような、
いつ潰れてもおかしくないオンボロアパート。
「ストイック」という言葉が似合う、
ゆるゆる現代人には考えつかない生活だった。

しかし、K太には輝く場所があった。
「紅(あか)テント」である。

K組の公演は、年に数回。
仮設のテント(芝居小屋)を劇団員が空き地に設営し、
その中で舞台が繰り広げられる。
もちろん、観客もテントの中。
芝居を観るに決して快適とは言えない空間が、
かえって、通の演劇ファンをうならせる。

K太がK組に在籍しているうちに、
紅テントへ足を運べなかったのは残念。
だからこそなのか、一度、紅テントを観てみたい。
例えば芝居のラストシーンでは、
かならずテントの奥が開く演出になっていて、
登場人物が奥へと消えていくストーリーになるという。
そういう「空間のお約束」を、堪能したい。

テントといえば、今から20年前、
仮設テントの映画館があったらしい。
テントといってもそれはそれはよくできていて、
「ドーム型移動式映画館」と呼ぶにふさわしかった。
映画の自主制作集団「シネマプラセット」が、
自分たちの作品を上映していたそう。

1980年、東京タワーの下に銀色のドーム型映画館を設営、
そこで上映した『ツィゴイネルワイゼン』は、
その年のキネマ旬報ベスト・テン第1位を獲得。
9万6000人もの観客を動員したという。
作品の評価が高かったのはもちろんだが、
「普通の映画館とは違う映画館」という点も、
好評の要因だったのではないだろうか。

作りが豪華でなくてもいい。
デメリットがメリットに転化するような、
「ケガの功名」的なものでもいい。
世の致せり尽くせりシネコンブームには乗じず、
西宮にしかない映画館を作ろう。

この主張は、今年もずっと変わらない。

 

つづく。

 

参考:http://www.h5.dion.ne.jp/~sha-ke/index.html
   (K太のしゃけ日記)

   http://www7.plala.or.jp/tenderness/cinema-4.html
   (『ツィゴイネルワイゼン』ほか、鈴木清順監督について)

                                  

 2003/01/13


「閉館がきまった、なんてオチはいやですからね」

古くから名画座として学生らに親しまれた
東京・早稲田通り沿いの映画館「早稲田松竹」が、
昨年3月休館し、50年の歴史に一区切り。
その後、早稲田大学の学生が中心となり、
インターネットで署名を集めるなど、
復活プロジェクトを行なっていた。

「行動を起こしている人がいる」と
ずっと気になっていて、東京出張を機に、
ふと立ち寄ってみた。
入り口に、こんなポスターを見つけた。





おっ、復活してるじゃないか。





さっそくプロジェクトのホームページにアクセス。
どうやら8ヶ月ぶりの再開が決定した模様。
『たそがれ清兵衛』を12月21日から上映、
1月25日からは『アイ・アム・サム』と
『ニュー・シネマ・パラダイス』の2本立て。
「2本立て名画座」の復活である。

これまでに集まった、復活を望む署名は400。
プロジェクト自体は興行側と連動しておらず、
署名と復活がダイレクトに結びついたわけではない。
けれど、こうした活動が行なわれていたこと、
問い合わせの電話が殺到したこと、など
「復活の声」が自然と耳に入ったおかげで
映画館運営主の気持ちにGOサインが出たのだろう。

プロジェクト代表の早稲田大学社会学部・沼田真一さんは
ホームページの掲示板に、
「復活したのはいいが、
 お客さんぜんぜん入っていなくて、
 休館どころか、閉館がきまった、
 なんて、オチはいやですからね」
と思いをつづられている。
映画館側に事業提案という形で
今後もプロジェクトを継続していくという。

興味深いのは、
「学生の来館数が減少の一途をたどっていた」ことを
「経営不振による休館」の主な要因とした上で、
解決策をいくつか提案していること。
中でも「地域・教育機関との連携」に、僕は注目。
なぜなら僕も、西宮の最高学府・関西学院大学との
映画を通じた連携を、考案しているところだからだ。
それについては、いずれ詳しく。

ともあれひとつの活動が、実を結んだことが、すごい。
早稲田の学生の「パワー」には一目置いていたが、
改めて、素晴らしいと感じた。

さあ、今度は僕の番だ。

 

つづく。

 

参考:http://w-eiga.com/
   (早稲田松竹復活プロジェクト)

                                  

 2003/01/14


「映画館を作りたいと思った。街にちいさな映画館」

東京は阿佐ヶ谷にある映画館「ラピュタ阿佐ヶ谷」の
館主・才谷遼さんは語る。
公式サイトのあいさつ文を、引用。

---

映画館を作りたいと思った。街にちいさな映画館。
ピータ・ボクダノビッチの「ラスト・ピクチャーショー」だったか、
街で映画館がなくなる。そして小さな文化の灯が消える。
そんな科白があったような気がするが、日本の多くの街でも
そのような現象があちらこちらで起こった。
もう四十年も前になるだろうか。どんなちいさな街にも映画館があった。
映画と日本映画の黄金期が終わりつつあった時代。
そしてそういう時代の最後の象徴だった並木座が閉館した。
小津、溝口、黒沢、成瀬を始め日本映画の堂々たる巨匠、名匠たちの
作品をこの「文化都市」東京で上映している場所がない!
(という驚愕すべき事実)
そろそろ映画館が街からひとつずつ消えていくという
長い歴史に終止符をうって、街に映画館ができていく。
そのためにちいさな力になれればと、こころのどこかで思ってる。
このちいさな映画館と劇場に足を運んでくれるとうれしい。

---

劇場案内ページを見てみると、
なんとまあ個性的。
わずか50席の小さな映画館ながら、
館内が木と石でできているそう。
秘密基地のような外観も素敵。

ちなみに地下1階は小劇場「ザムザ阿佐ヶ谷」、
地上1階に受付とフリースペースがあり、
2階に「ラピュタ阿佐ヶ谷」がある。
3階は「山猫軒」というレストランだ。

まだオープンして数年のこの施設、
どこかジブリ美術館を彷彿とさせる。
つまり、空間で世界観を提示しているわけだ。

ふとしたきっかけでお知り合いになり、
ことあるごとにアドバイスをくださる中原さん
(文部科学省 大学共同利用機関 メディア教育開発センター
 研究開発部 メディア活用研究開発系 メディア環境開発研究部門 助手)

は、ジブリ美術館を訪れ、
日記でこう振り返っている。

「<人が没入できる世界観>をつくりだすっていうことは、
 要するに細部にもコダワレルことだと思うんです」

それができているジブリ美術館はすごい、と。

「ラピュタ阿佐ヶ谷」にも同じ匂いを感じるのだが、
どなたか近郊にお住まいの方、
体験記を寄せていただけないだろうか。

え、自分で行けって?

だって、東京から帰宅直後に
その存在を知ったんですよ。
後悔先に立たず、ならぬ、情報先に入らず。

今度の出張はいつかしら。

 

つづく。

 

参考:http://www.laputa-jp.com/
   (ラピュタ阿佐ヶ谷)

   http://www.nakahara-lab.net/
   (NAKAHARA-LAB.NET 中原研究室@NIME)

                                  

 2003/01/15


「ひとつ言えるのは『1月に何かがある』ということ」

12月28日の日記で触れたベールを、
ようやくはがすときがきた。

僕は、秘密を守れない主義である。
ひとたび秘密を握れば、黙っていられない。
そういう人を世間では「口が軽い」と言うけれど、
僕は違う、別格だ。キングだ。
聞いた話を脚色し、オチをシャープに、言いふらす。
「笑い話で済むのが救い」と友は言う。

そんな僕が2週間も耐えに耐えて、黙ってきたもの。
それが「1月にある何か」だ。

2003年1月17日の金曜日、場所は白鷹禄水苑。
阪神西宮駅付近にある灘酒メーカーの
文化拠点であるこの場所で、17時半から19時半、
「シネマ・エクスカベイション in にしのみや」
なるイベントが開催される。





内容は「西宮に映画館を作ろうよの会」旗揚げ興行。
かつて西宮にあった映画の撮影所「東亜キネマ」と
西宮最後の映画館「今津文化」をビデオで振り返り、
さらには来場者とパネリストが「映画への思い」を
ディスカッションする、というもの。
実は水面下で、こんな動きがあったのである。

パネリストとして、
河内厚郎さん(「関西文學」編集長・夙川学院短大教授)、
以前ご紹介した「今津文化」の元館主・田中健さん
(阪神・淡路大震災復興協会理事長ほか肩書き多数)、
松岡厚志(ライター)
辰馬朱満子さん(白鷹株式会社 禄水苑事業部本部長)。

んあ?

ひとり小粒が混じってねえ?
まるでトロ、ウニ、イクラにカッパ巻き。
身の程をわきまえない、とはこのこと。
どうやら人前で、映画について語るらしい。

しかも河内先生、田中先生といった
関西文化事業界の大御所と並び、
いけしゃあしゃあと喋るらしい。
若いってコワイですね。

この催しは、僕の主催ではもちろんない。
ただ、理念を共通する同志として迎えられ、
西宮の若者代表として意見させていただく、
そんな場を設けてくださったのだ。
(西宮市民じゃないけどいいのかな…)

入場は無料。
奮ってご参加ください、特にワカモノ。
僕の「ど緊張モード」が見られますよ。

 

とぅづく(←もう緊張してる)。

 

参考:http://www.hakutaka.jp/rokusuien/
   (白鷹禄水苑)

                                  

 2003/01/16


「それでは明日、頑張りましょう」

「西宮に映画館をつくろう会」発足イベント前日。
当日の会場・白鷹禄水苑にて、
パネリストの河内厚郎さんほか、
スタッフとの打ち合わせを行なった。



河内厚郎せんせ


河内先生は、関西文化の重鎮。
隔月刊雑誌「関西文學」の編集長にして、
夙川学院短期大学の教授。
そして「宝塚映画祭」の中心人物でもある。
肩書き、実績において、
これ以上の人物はいないだろう。

当日は、客層、客の入りを見て、
臨機応変にディスカッションしていく流れ。
むしろフリートークに近いかもしれない。
ビデオ上映の後だから、そこまで時間は取れないが、
「西宮映画館」についてどのような議論がなされ、
どのような進歩を見せるのか、楽しみ。
ネガティブな緊張感とポジティブな高揚感が、
今日の僕を支配している。

ところで「西宮に映画館をつくろうの会」は、
例の田中健さんの発案である。
阪神・淡路大震災から丸8年を迎える明日、
「西宮の映画の灯が消された1月17日を再生の日に」
と意気込んでおられるわけだ。

僕はモノカキとして独自の主張をしているが、
「西宮に映画館を」という大まかなゴールは同じ。
成功までのあらゆるプロセスが考えられる中で、
会のみなさんと関われることは大きい。
「ニュー・西宮・パラダイス」を
すべて丸投げするわけではないけれど、
まずはこうしたイベントに
参加できることを喜びたい。

なお、イベントの告知は、ビラで。
僕も若者たちにぜひ見に来て欲しいので、
関学の映画研究部らとアポなしで接触。
「良かったら来てよ」と声をかけた。
活動が芳しくない映研、などと以前書いたが、
彼らはちょうど上映会を学内で開催中。

なんだ、ちゃんと活動してるじゃないか。

しかし見事に上映会と日程がかぶってしまった。
あとは学内に配置したビラを
誰かが手にしてくれることを祈るのみ。
来てくれるかなあ、若いやつら。

ひとつ救いがある。
朝日新聞、毎日新聞、神戸新聞など、
新聞各紙が「震災特集」として
今回のイベント告知に誌面を割いている
ことだ。
救いどころか、これ以上の宣伝効果があるだろうか。

さあ、心臓が飛び出そうになってきた。
ていうか、ちょっと出た。

 

つづく。

 

参考:http://members.tripod.co.jp/kansaibungaku/
   (関西文學)

   http://mytown.asahi.com/hyogo/news02.asp?kiji=6330
   (心の震災復興は映画館再興で/西宮 アサヒコム 2003/01/16)

   http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030116-00000007-mai-l28
   (阪神大震災で消えた映画館復活へ YAHOO! NEWS 2003/01/16)

                                  

 2003/01/17


「今日は、旗揚げです」

白鷹禄水苑事業部本部長・辰馬朱満子さんは語る。

「西宮に映画館をつくろうの会」発起イベント
「シネマ・エクスカベイション in にしのみや」
が行なわれた。
新聞各紙の告知効果もあり、会場は満席。
ご年配層中心の中、若者の姿もちらほら。

まあ、うれしい。

まずはビデオを2本上映。
ひとつは「東亜キネマ」について。

実は大正12年から昭和2年にかけて、
西宮の甲陽園に「東亜キネマ」という
映画の撮影所があった。
当時、甲陽園や香枦園など西宮の各地には、
立ち並ぶレジャー施設が街を活気付かせており、
目玉のひとつに、映画の撮影所があったというわけ。
(キネマ旬報編集部も、初めは付近にあったそう)

その頃の映画といえば、無声映画。
見物人が撮影現場に押しかけても
音の面では一向に邪魔にならない、
というわけで、市民に無料開放していた。
今日のイベントの来場者にも、
見物した思い出をお持ちの方がいらっしゃった。

もうひとつは「今津文化」のドキュメント。
僕が以前、白鷹禄水苑の文化アカデミーで
拝見させていただいた、田中健さんのお話である。
やはりこの催しの大前提は
「阪神・淡路大震災復興イベント」であり、
震災とともになくなった西宮最後の映画館
「今津文化」の名を忘れてはいけないだろう。

つづいて、来場者を交えたフリートーク。
パネリストは、この4人。




左から。
企業メセナが叫ばれるはるか以前から
地場産業として地域の文化事業に貢献されてきた
灘酒メーカー白鷹の立場から、辰馬さん。

西宮を中心に、阪神地域の映画の歴史を
学者の視点でお話された河内さん。

自身の思い出話を交えながら、
西宮に映画の灯を取り戻そうと、
ざっくばらんにお話された田中さん。

そして、水玉シャツの勘違いくん。
(松岡厚志っていう人らしいですよ)



うわー、やっちゃった…。お呼びでないよキミ。


本番直前はイスの角に足をぶつけるなど
ど緊張ぶりを発揮していたが、
人前に出ると、なぜかドキドキはほぐれた様子。
客席前列に笑顔のお母さんがいてくれたおかげで、
なんだか見守られているような安心感。
短い時間ながら、言いたいことも無事に言えた。
「西宮に映画館が欲しいですね」と訴えた。





客席からも意見が飛び交い、
予定時刻を20分ほど延長した。
具体的な進展はなかったが、
「西宮に映画の灯を」という気運は高まった。
まずは成功と言えるのではないだろうか。

「今日は、旗揚げです」

辰馬さんのお言葉通り、
西宮映画館活動は、いよいよ本格化するだろう。

僕の立場、できること、やりたいこと、
これまでやってきたこと、
それらをもう一度整理して、
今後の動きにつなげたい。

 

つづく。

 

参考:http://www.hakutaka.jp/
   (白鷹株式会社)

                                  

 2003/01/18


「インドで最下位の映画とか、ええやん」

昨日のイベント終了後、
ちょっとした交流会が生まれた。

僕と同じ気持ちでいてくれた若い女性や
映画の配給をされている会社の方など、
続々と僕に声をかけてくださった。
「またホームページ見させてもらいます」
とも言っていただき、
ええいああ、ぽろぽろ、うれし泣き。

さらにその後は、関係者による簡単な打ち上げ。
白鷹さんのご好意により、
日本酒を酌み交わす場となった。
酒に弱く、一杯で頭がフラついてきた僕は
カシスオレンジぃ〜とかファジーネーブルぅ〜
みたいなギャル酒が限界であることを痛感。
それでもシナリオライターの方や
映像を学ぶ学生さんたちと歓談でき、
楽しい時間を過ごすことができた。

こんな話になった。

「ロードショーはいらんよね。
 大阪とか神戸に出ればいいんやし。
 西宮でしか観られない、ていうのを探さないと」

ひとりで悩んでいても、答えは出ない。
ぽっと出のアイデアは、何気ない会話の中で生まれるもの。
僕の頭の中で、電球がひとつ光った。

「インドって年間800本くらい映画作ってるでしょ。
 だから、インドで最下位の映画とか、逆に面白いかも」

やれ「全米No.1」とか「今世紀最高のラブストーリー」とか
やたら煽るのが映画の宣伝の定石であるならば、
「インドで一番面白くなかった映画」
というのも同等のインパクトがないだろうか。

考えてもみてほしい。
世界最多800本もの作品がある中で、
見事「最低」の称号をもらえるものは、
ただひとつ。オンリーワンだ。
つまり、それだけ突き抜けているとは言えまいか。

アメリカに「ラジー賞」というのがある。
その年の最悪だった作品を選出する、
ゴールデン・ラズベリー・アワード。
言わば「裏アカデミー賞」だ。
このインド版を西宮が発掘すればいい。
幸い、昨日のイベントに、
インドの映画俳優であるアリさん
という方が来られてたので、
彼に掛け橋になってもらえばいい。

と、冗談半分で言ってみたが、
こういったはずしの視点は大事である。
右にならえは避けたいし、
かといって天邪鬼ではネガティブすぎる。
ワンポイントに凝るファッションセンスのような
「はずしの美学」でもって、
「西宮オンリーワン」を成立させたい。

何か、いいアイデアはありますか。

 

つづく。

 

                                  

 2003/01/19


「生きてる人間が何をするかや」

パンクバンド・ガガガSP(スペシャル)の
ボーカル・コザック前田は語る。

神戸市長田区は南駒栄公園。
ここでガガガSPのフリーライブが行なわれた。
今なお出身地神戸に住み続ける彼らの
震災「卒業」イベントだ。

新曲『問題はない』の解説には、こうある。

「被災者を弔うことも大事かも知れんけど、
 一番大事なのは生きてる人間が何をするかや」

小雨が降りしきる中、彼らの思いは1万人に。
お祭り騒ぎでぴょんぴょん飛び跳ねる
ティーン世代の笑顔を見ていると、
ガガガの「地元愛」なるメッセージが
ひしひしと伝わってきた。

フォークの要素を盛りこんだパンク、
という「親しみやすい刺激」が
若い奴らの胸を打つ。
彼らより少し年上の僕は、
その音楽性うんぬんよりも、
ガガガのポジショニングに共感した。

「なんぼ売れても神戸からは出ていかへん」

生まれ育った街を愛する、その志。
東京一極集中の功罪をなぎ払うかのような、
ごく当たり前の「地元愛」は、
「西宮で映画館を」の僕を勇気付けてくれた。
ライブ帰りの若者で潤う地元商店街の
おじさんおばさんの笑顔を見て、
胸がすっと軽くなった。

神戸市長田区は、特に震災の被害がひどかった街。
中でも駅の南側は、今なお爪あとが残る有様。
そばめし発祥の地であり、1970年には20万人いた人口も、
今ではたった半分の10万人。
復興を願う地元民は、
牛すじ肉とこんにゃくを甘辛く煮込んだ
「ぼっかけ」に賭けている。
帰りに食べた「ぼっかけうどん」や良し。

人のアイデンティティは、生まれたところがすべて。
将来、西宮で育った子供が
「今の自分があるのは、小さい頃、
 近所で映画を観られたから」
なんて言う日が来たらうれしい。
娯楽の王者と言われた映画の素晴らしさは、
どの教育よりも刺激的だと僕は見ている。

そうだ、教育だ。

 

つづく。

 

参考:http://www.ldandk.com/gagaga/gatop2.html
   (ガガガSP)

                                  

 2003年1月後半へ